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ご挨拶

代表挨拶

代表

こんにちは!代表の中村です。私は、28歳まで体操競技の選手として競技に邁進し、そして選手引退後から37歳まで銀行員をしていました。その後、44歳で税理士事務所を独立開業するという、“変わった経歴”の持ち主です。
日本体育大学体操競技部(部員数140名)の主将を務めた経験は、「リーダーシップ力」を醸成できた期間であると自負しています。体操競技の選手時代の経験は、私自身の「人間力」を磨けた時間でした。
銀行員時代は、(1)中小企業における資金調達の方法。言い方を変えれば、「銀行との正しいお付き合いの仕方」(2)成功する経営者と失敗する経営者の見分け方。また、成功する経営組織と失敗する経営組織の見分け方(3)財務・労務・税務等の幅広い知識などを実体験から吸収できた期間であり、中小企業経営者のお手伝いをさせていただくうえで、大変有用な「社会人力」を醸成できた期間であると自負しております。

そして、資格試験にチャレンジしていた期間は、税理士としての知識を学ぶことはもちろんのこと、徹底的に「忍耐力」が鍛えられた期間でありました。

このような経歴を経て、2011年1月より税理士事務所および経営コンサルティング会社を開設するに至りました。“変わった経歴”だけに多岐にわたる業界の方々にご祝辞をいただき、また、激励のお言葉をいただきました。「お客さんを紹介したるわ!」と声をかけていただいたことも少なくありません。この多岐にわたる人間関係は、仕事上においてもプライベートにおいても私の最大の財産です。

開業から6年が経過する中、2017年2月1日、中村仁一税理士事務所は、お客様の未来を共に創造したいという想いを込め「税理士法人みらいクリエイト」に法人成りいたしました。
お客様の利益のために努力することが、自分たちの利益が叶うという自利利他の経営理念を大事に、お客様の繁栄のサポートをすると共に、5年後10年後の明るい未来を創るため、お客様の経営参謀として、経営に関するあらゆるニーズに応えたいと強く願っております。

代表経歴

(1)体操競技選手時代
昭和60年03月 清風高校卒業(体操競技部所属)
平成01年03月 日本体育大学(体操競技部所属)
平成01年04月 紀陽銀行入行(体操競技部配属)
平成06年12月 選手活動を引退する

体操競技を始めたのは3歳ですので、28歳までの25年間選手として活動していました。
主な成績は、高校時代/インターハイ個人総合6位・国体個人総合優勝、大学時代/全日本選手権団体総合優勝・全日本選手権種目別あん馬2位、紀陽銀行時代/89年シュツットガルト世界選手権日本代表・同大会個人総合19位、などです。

全日本強化選手としてオリンピックを目指していましたが、日本代表になったのは前述した世界選手権のみです(社会人1年目)。社会人2年目はアジア大会代表選考会7位(国内補欠)、社会人3年目は試合1か月前に足首靱帯断裂、2週間前に右手中指脱臼したなかでの世界選手権代表選考会12位という結果でした。

そして、26歳、社会人4年目のオリンピック最終選考会(上位6人が代表選手)では、順位が4位~9位の中で変動するという胃が痛くなる試合展開の中、1年前に痛めた足首を試合中に再度痛めて途中棄権という結末でした。

その後、足首を手術し4年後のオリンピックを目指しましたが、肩の脱臼が癖になり、また、足首を含む古傷が悪化し、トレーニング時に鎮痛剤を服用しすぎで胃を壊すなど満身創痍の中、28歳で引退しました。

(2)銀行員時代
平成07年01月 同行高松支店配属(営業課・地区担当)
平成12年10月 同行海南駅前支店配属(営業課・法人担当)
平成15年09月 一身上の都合により紀陽銀行退職

28歳まで体操競技だけをしてきた男が、初めての会社勤務です。体操部から一般の行員になったのは14年ぶりだそうで、良くも悪くも注目もされていました。心掛けたことは、頭を低くして教えを仰ぎ、一生懸命努力することです。

3か月間の業務課勤務を経て、営業課に配属されました。銀行の渉外担当に求められる能力は、大きく分類すると、(1)知力(業務検定試験、昇格試験、FPなどの資格試験などの合格)と、(2)行動力(営業成績のノルマを達成するために、お客様のところに何度も足を運ぶ行動力)の2つです。

まず、知力について、銀行という職場は数多く機会を設けています。その機会は、地銀協主催の業務検定試験(税務・財務・法務・ほか)が年に3回、通信教育(テーマは多岐にわたります)が6か月毎、中小企業診断士・ファイナンシャルプランナーなどの社内研修の適時開催と、これでもか!というくらいあります。28歳の新入社員として、貪欲にチャレンジしました。そして、数多くの試験に合格し、また、多くの「知識」を吸収することができました。

次に、行動力についてですが、これは、自分自身の意志で切り開くものだと思います。もともとスポーツ選手ですので、汗を流すことに何の抵抗もなく、只々必死に営業担当者として汗を流しました。

その結果、約5年半の間に営業成績優秀者として4回の頭取表彰(内2回は最優秀)を受けることができました。競技者としての人生と全く違う業界で評価されたことが嬉しく、また、「やればできる!」という自信になりました。

その後、法人担当として数多くの企業を担当し、営業課の役席として12名の部下を持たせて頂きました。仕事、待遇等、勤務先である銀行に対して何の不満もありませんでした。しかし、銀行という職場は、50歳前後で関連会社に出向することが当たり前で、言い換えれば一線での仕事を取り上げられます。「ここまで頑張ってきたけど、あと10年程で出向する年齢か…」と考えたとき、一生涯前に進める仕事に就きたいと考えるようになりました。そして、熟慮の結果、銀行を退職し「税理士」「経営コンサルタント」という職業を目指すことを決意し、37歳で専業主婦の妻と8歳と6歳の子供がいるなかで銀行を退職し、専門学校に通うことになったのです。

平成15年10月
大原簿記法律専門学校にて税理士受験コースを受講
平成18年04月
大阪経済大学大学院経営学部入学
平成20年09月
同大学院卒業
平成20年10月
伊藤税理士事務所入社
平成22年12月
同事務所退社
平成23年01月
中村仁一税理士事務所開業
並びに(株)FMコンサルティングを設立

銀行を退職し、専門学校で税理士受験コースを受講し始めて10か月が経ち、8月の試験日を迎えようとした頃の心境を一言でいうと、「お先真っ暗」です。結果は、2科目受験して全滅で、自己採点上合格ラインにまったく届きませんでした。今だから言えますが、大見得切って銀行を退職し、家族を抱えて、今更引くに引けない状態の中、試験日後の1週間くらいは途方に暮れていました。「敵を知り己を知れば百戦危うからず」といいますが、敵も己も見失っていたと思います。

そこで、私がしたことは、「敵(山の高さ)」を知ることです。専門学校の講師に資格試験科目の正確な難易度を聞き込み、山の高さを正確に把握しようとしました。そして、「己(自分の能力)」を正確に分析し、かつ、その山を登るためには、(1)どの登頂ルートを、(2)どのような装備で、(3)どれくらいの時間をかけて、頂上を目指すべきかを徹底的に分析し、計画し、実行しました。

その甲斐あってか、翌年からは、毎年1科目合格し、併せて大学院に通い、銀行を退職してから約5年で税理士資格試験をクリアすることができました。前述しましたとおり、私は28歳までスポーツ選手として生きてきましたので、机の上で1日の大半を過ごすことは、かなりの苦痛でした。

税理士登録するためには、資格試験に合格するだけでなく、税理士事務所等での勤務経験が2年以上あることが要件となっています。伊藤税理士事務所の伊藤先生は、2年間だけ務めさせてくださいという勝手な希望を聞いて下さり、実務面はもとより、税理士という税法の専門家としての心構えを教えて頂きました。退職するときに「中村君、我々の仕事は、お客さんの笑顔あっての仕事や!お客さんに喜んでもらえたらそれが一番や!」とかけて頂いたお言葉は、一生の糧にしたいと思っております。

そして、ついに、念願の税理士事務所&経営コンサルティング会社を開設するに至りました。また、開業から6年が経過する中で、顧問させていただくお客様、同じ志を持つ所員が増えたことで、更なる飛躍を誓い、お客様の未来を共に創造したいという想いを込めて「税理士法人みらいクリエイト」を設立いたしました。

会社の経営者にとって税理士とは、財布の中身を把握され、仕事上のみならず、時にはプライベートな相談相手となるかもしれません。そんな立場なら、相手のことを知りたい、または、知ってもらいたい、と思うのは当然との観点から、長々とした“経歴”を書き連ねました。長文をお読みいただいた方は、私との面談時に「自己紹介長すぎるわ!」と突っ込んでいただければ幸いです!